今回はダラダラと長いよ。
前回のブログから、退職を決意し、8月末に辞める旨ボスから了承を得て、なんとか残り頑張ろうと思っていた矢先、やっぱりというか、予想通りというか、辞められなくなりました。
ボス曰く、聞いてないって。診断書も見たことないって。
いや、言ったわ。明確に伝えたわ。
そんなことある?と思えど、そんなことあった。
ここはそういう事務所だし、そういう業界だ。
しかし、この1週間、濃厚接触者になったことでやっとまとめてゆっくりすることができ、ちょっと精神的なゆとりが持てたので、そこで感じたことや、考えたことなどをつらつら綴っていこうと思います。
退職を決意して以降、いちばん最初に決めた南の島逃亡計画だけは何とか死守すべく、8月末に1週間を夏休みとして確保したけれど、同居の妹がコロナ陽性となり、私も濃厚接触者で自宅待機を余儀なくされ、1週間の在宅勤務になりました。
この1週間はあくまでも「在宅勤務」で、休暇を取ったわけではないけれど、私の性格上、1週間出勤しなかったのに「予定通り8月末に夏休み1週間いただきます〜」とは言えない。たぶん言えない。
こういう訳の分からない気遣い、しなくていいのに、しないことに罪悪感を覚え、無視できずに結局自己犠牲でストレスを抱えるのです。周囲はそんなこと望んでないかもしれないのに。
私は、読まなくてもいい空気を読んで、気にする必要がないことを気にするし、なのに、読まなきゃいけない空気は読めない自覚があるので、常に誰かに怒られるのでは、と思いながら生きてます。あと、「〜すべき、〜でなければいけない」思考も強いです。
そして、その摩擦で勝手に疲弊していく、という精神疲弊オートマシン搭載の44歳です。面倒臭いです。
ですが、この性格は、私の本業である秘書としてはそこそこの適性を見せるのです。
気遣って欲しいポイントは上司によりけりなので、ここが合わないと相性最悪になるのですが、この読んで欲しい空気のポイント、気にして欲しいポイントが合致すれば、行動のひとつひとつがヒットし、「気が利く」と思われてそれなりにいい業務関係を構築でき、それなりに評価も上がります。
自分で言うのも何ですが、私は後者のパターンで、今のボスとは諸々あれど、相性が良かったのか何とか8年間やって来られました。事務所にもう1人いる例の運転手(48歳児)はこのポイントをことごとく外していたので、余計に私への評価が高くなっていた気がします。
ただボスは、猛烈なパワーを持った上司にありがちな、無茶振りや言葉足らずの指示が多いのです。
それに応えようと、10しか出せない力を何とか血を流す勢いで頑張って12で返すと、それが当たり前になってしまい、次回以降も当然のように無理することを強いられてしまう。
そして、指示も言葉少なの感覚的なものが続けば、察しきれない部分も出てきてしまう。どんなに相性が良くたって、感覚までは合致しない。でも察することもできるポイントがある分、その誤差が際立ってしまって、ボスからは苛立ちの空気を感じ取って、私は疲弊していく。8年間、このループです。
ここで問題なのが、
そもそも感覚的な言葉足らずの業務指示なんて、確実に理解できなくて当たり前なのです。分からなくて何度か質問して不機嫌になられても、それは私の問題ではなくてボスの問題なのです。
ボスとて、別に仕事さえしてくれればご機嫌取って欲しいなんて思ってないだろうし、割とすぐ機嫌は戻るし、そこまで気にする必要はないのです。
元気なときは「仕方ないじゃん」でスルーできていた部分もあるのに、ここ1年弱は色んなことが気になってしまって、相手の機嫌が戻ったことを確認するまでは居ても立っても居られない心境になって、余計な行動起こして、またさらに不安になる、みたいな負のループに陥ってました。モラハラにハマる典型バージョンですね(笑)
今思えば、これも精神的疲労によるものだったのかもしれません。鬱症状と言えばそれが鬱の始まりだったのかも。
では、なぜそんなに疲れてしまっていたのか。
私は日頃、ボスの時間軸、判断軸で1日の大半を過ごしており、就業時間はあれど何時に終わるのかはその日、その時にならなければ分かりません。あと、土日の呼び出しも何度かあります。家庭もないし(笑)、仕事は嫌いではないので、元気な時だったら気にならなかったのですが、この1年はそれがしんどくてしんどくて仕方なかったです。
あとは、言っても仕方ないけど、同僚(例の運転手、48歳児)との関係ですね。
彼が結婚して以降は、モラハラ行動はかなり減ったけど、やっぱり彼からは頼られる一方で、私に何かあっても頼れない、ちょっと何か頼むとすぐにキャパオーバーになって不機嫌になる、無視が始まる、という究極の器の小ささで、小さな事務所内で唯一の同僚が彼だけというのは、かなりの負担でした。
でも、それが外部にはわからないんです。業務だけでなく、この精神的負担も1人で抱えねばならないのはしんどかった。
退職の話をした際、彼と接する大変さについてはボスに泣いて訴えたけれど、やっぱりボスが思う彼の印象と、私が体感している彼の姿は違うし、彼に問題があるのは周囲の共通認識なれど、本質的なしんどさはなかなか理解されない。これも典型的なカサンドラですね(笑)
総じて、私の問題点は、他人の感情と自分の境界線が曖昧になってしまい、相手の不機嫌さや不穏な空気と一体化し、そこに「〜せねばならない」理論を持ち込んで自分を追い込み、自信のなさに拍車が掛かって相手の承認を求め、それが上手く行かない状況が続いたことに疲弊してしまったのでしょう。
不機嫌な人はほっときゃいいんですよ、自分の機嫌は自分で取らせればいいんです、自分の仕事さえちゃんとやっていればこちらのせいではない。
理屈では分かっていても、そう言う場に出喰わすと、その空気にはなかなか耐えられないものです。
だって私「ちゃんと」やってるのかな、何か地雷踏んでるんじゃないかな、でもボスからの指示は曖昧だし、情報共有も曖昧だし、分からないことあっても外に確認していいことと漏らしたらいけないことの境界線が分からないし、そういう中で唯一の同僚がムスッとしてるのはイヤなものだし、ボスから曖昧に重要事項を振られるのもしんどいけど、見限られて単純ワークになるのもしんどい。
結論の出ない問いを頭の中でぐるぐる繰り返して、湧き出る不安で溺れそうになる。
これが私の性格によるものなのか、職場の特殊性によるものなのか、分からなくなる。
だって、この業界の秘書はみんな超絶しっかりしてるんだもん。本当に感情が揺らがないというか、常に笑顔で人当たりはいいのに、相手と感情を分かち合うことをまるで求めていない。そういう人たちを見てると、ウジウジ悩んでる自分の器の小ささを痛感せざるを得ない。
ていうか、そもそもなんで辞められないんだろう。
老いたボスの疲れた横顔や、もつれた足取りを見ると、この人を置いていけない、と思ってしまうし、辞めようとしている自分がものすごく薄情に思える。そしてそんなこと思ってる自分が偽善者にも思えてくる。もう何なんだ、一体。
とは言え、濃厚接触者になって1週間在宅勤務して少し冷静になれたのは、まとまった休息が功を奏したのでしょう。やっぱり休みが必要だったんじゃん。医者の言う通りじゃん。診断書持って行ったんだから休職させーや。
そんなこんなで、現在、職場に戻って参りました。
そして、月末の夏休みだけは何とか確保しました。
今までの自分だったら手放してたと思うけど、もうこんな状態はいやだと心底思ったので、夏休みは外せない所用があるので予定通り休ませていただきます、と伝えましたわ。ボス、不服そうだったけど。
またぼちぼちやっていきます。
ひとまず、来週からの南の島逃亡計画が心の支えです。