THE SPANGLE IDENTITY
2023-12-05T04:21:52+09:00
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speak up, speak now.
Excite Blog
SPANGLEなIDENTITY WORLDへようこそ。
http://idspangle.exblog.jp/3176332/
2023-12-31T23:59:00+09:00
2022-08-12T11:54:46+09:00
2005-07-23T23:33:48+09:00
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プロフィール
私といえば、
今の職場につとめて8年目に突入したり、
キャリアコンサルタントの国家資格取ったり、
大学院の受験に失敗したり、
水引き、和紙、ワイヤークラフトにハマってみたり、
激痩せした後に激太りしたり、
外国にひとり旅したり、
ロングヘアーにしたり、ショートボブにしたり、
相変わらず落ち着かない日々を送っております。
今年で44歳になります。このブログ始めたのは23歳だったのに。(確か)
ここ数年、ひとなみに落ち着いて安定した人生を目指したけど、どうもそういう感じにならんかった。なので、もう落ち着こうとは思わん。もうこのまま一生、右往左往しながら生きていくのだ。
そんな感じで、相変わらず年イチレベルの更新ですが、引き続きよろしくお願いしまする。
2022.05.03
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秘書の卒業とめでたき門出。
http://idspangle.exblog.jp/33566038/
2023-12-05T03:07:00+09:00
2023-12-05T04:21:52+09:00
2023-12-05T03:08:41+09:00
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途中放棄してしまうかと思ったけど、こんなぐうたらな私が働きながら1年に2つも通信大学を修了させることができ、非常に満足しておる。現役学生の時にちゃんとしておけば良かったんじゃん、というそもそもの突っ込みもあるが、まぁ良いわ。
(どうでもいいことですが、教職は科目等履修生で、国家資格の方は正科生で在籍したので、二重学籍にはなってないです。)
目指している国家資格の受験資格を得るには、来年もう1年養成講座を受講する必要はあるけど、大学を卒業することで得られる任用資格もあるし、なんとかやっていけそうな土台も整ったので、秘書業からは卒業しますわ。
ボスの事務所では8年も勤めて、ある程度の適性があると思った秘書業。辞める辞められないのゴタゴタを何とか潜り抜けて今年3月に退職して、もう秘書はするつもりはなかったものの、前職を踏襲しない形での45歳の転職はとても厳しく、とんでもなくお高い年収を提示されて心のグラついた私は結局また秘書として採用されました。が、ここでは全くマッチしなかった。。。。今年の夏に入職して秋には退職するという、まさかのワンシーズン就業(笑)
まぁ、職員全体が起立して理事長さまに頭を垂れるような環境だったのに、専属秘書でありながら全くお敬い申し上げ奉らなかった私も悪い(笑)職員の一挙手一投足を管理したがる理事長のことは1ミリも尊敬できず、理事長さま御一族バンザイな環境を日々バカバカしいと思いながら仕事していたら、3ヶ月で限界が来たわ。バカ高い年収で満たされる自意識は最初はあった気がするけど、そんなのは1ヶ月も持たなかったな。。。。
秘書はボスとの相性が全て。私は前のボスのことはなんだかんだで尊敬してた。理事長さまは尊敬できなかった。それに尽きる。プロの秘書としては失格かもしれないけど、魂をお高い年収で売らなかった自分ことを、ちょっと好きになりました(笑)
秘書をやってれば普段行けないようなところにも行けたし、会えないような人にも会えた。ボスの権威の笠の下、自分も同じ階級に所属しているかのような高揚感も味わえた。だから、何となくそこから離れたくなくて、似たような環境を求めてしまっていたけど、これでやっと腹が括れたわ。到底裕福層には成り得ない業界だけど、残りのキャリアの着地点、やっと定めることができたわ。
来年、国家資格受けて、資格取った後1年は修行のため雇われで働いて、あと2年は東京に居たいな。そんでそのあとは実家に戻って独立して、今度こそ跡取りとして家を背負って、自分の足で立って食っていくのだ。
ぼちぼち自分に纏足を課すような生活はおしまい。全く以って予定通りの人生にはならなかったけど、これはこれでよかろう。
行くと定めた道も楽ではないだろうけど、決してつまらなくはないはず。自分の勤めの本質を自分で敬うことができるなら、もう、それだけでいいです。]]>
20年目の真実と、20年前の自分を引っ叩きたい衝動。
http://idspangle.exblog.jp/32303684/
2022-09-20T21:45:00+09:00
2022-09-21T17:24:38+09:00
2022-09-20T21:46:07+09:00
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しかし、当時の私は、今よりさらに手に負えないレベルのぐうたら人間だったので、中学社会の履修科目の多さが面倒臭くなり、世界史にもあまり興味がなかったので、高校地歴の科目も面倒臭くなり、なけなしの義務感で、元々得意だった高校公民の必要単位だけは全て取得したものの、大学でやる免許一括申請の日に行くのが面倒臭くなり、教員とは全く異なる業界に就職が決まっていたこともあって、「必要単位は全て取得してるんだし、そのうち必要になったら申請すればいいじゃん。よゆう、よゆう」的なナメた態度で、大学を卒業したわけです。
そうです。私は申請さえすれば、いつでも先生になれると思ってた。つい最近まで疑いなく本当にそう思ってたんだよ。
そしたらねー、
本当にびっくりしたんだけどねー、
私、選択必修の科目を1つ履修してなかった。
単位数は足りてるんだけど、各項目の単位数も全て満たしてるんだけど、教職単位の履修方法って複雑でトリックが多いからさー、必要な科目が1つ取れてなかったんだよー。
あぁ、びっくり。本当にびっくり。あの時、あんなに確認しながら科目登録したのにねー。20年間、自分は教員免許持ってると思って疑わなかったわー。やれやれ。本当にびっくりだわー。
判明したのはこの夏のこと。秘書人生に疲れた私は、今の仕事を辞めて実家に帰っても、食うに困らないように準備だけはしておこう、と思い、地元の教育委員会に教員免許の申請をしたんですわ。
そしたら、あっさり単位不足で却下されましてね。そこで発覚しました。20年目の真実。もー、びっくり。そんなわけはない、と思って、教育委員会と大学に質問しまくっちゃったよー。すっかり名前を覚えられてしまったよー。
とは言えですね、足りないのは1科目だけなのだから、どこかの通信制大学でチョチョっと履修すればいいか、と思ったら、20年の間に法令が変わってて、7科目も取り直さなきゃいけなくて、学費も10万円オーバーっていう、なんかもう、学生時代の自分を引っ叩きたい衝動を抑え切れないわ。
今回、私が言いたいのは、親が学費を払ってくれているのをもっと有難がれ、あの日の私め、ということです。親が学費を払ってくれていることを、私は本当にナメていた。。。本当にすみません。。。自業自得の極みで、両親にはお詫びの言葉もありませぬ。
あの日の私よ、大学にはちゃんと通え。興味のない科目でもめんどくさがるな。社会に出たら、もっと興味のないことに延々と取り組まなきゃならなくなるんだぞ? その程度でブーブー言うなや。働きながら勉強するのは、金銭的にも気力的にも時間的にも、お前が思ってるよりずっっっっと大変だぞ。ていうか、お前、めんどくさい諸々を後でまとめてなんとかしようとするクセあるけど、一発逆転できるほど頭良くないぞ。毎日コツコツ型の凡庸な頭脳なんだから、ちゃんとサボらないで毎日コツコツ頑張りなさいよ。他の人がコツコツとやってきたことに一発で追い付ける能力も体力もないんだから、自分の力を過信すんなよ。ということです。
今回は自戒の念を込めて、記録しておきます。教員免許を取り直すかは、金銭、時間の兼ね合いで現在悩み中です。
本当にあの日あの時の私め、引っ叩きたいわー。]]>
ここ最近の燃え尽きた人•その2
http://idspangle.exblog.jp/32146765/
2022-08-12T11:52:00+09:00
2022-08-12T12:05:18+09:00
2022-08-12T11:52:58+09:00
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前回のブログから、退職を決意し、8月末に辞める旨ボスから了承を得て、なんとか残り頑張ろうと思っていた矢先、やっぱりというか、予想通りというか、辞められなくなりました。ボス曰く、聞いてないって。診断書も見たことないって。いや、言ったわ。明確に伝えたわ。そんなことある?と思えど、そんなことあった。ここはそういう事務所だし、そういう業界だ。
しかし、この1週間、濃厚接触者になったことでやっとまとめてゆっくりすることができ、ちょっと精神的なゆとりが持てたので、そこで感じたことや、考えたことなどをつらつら綴っていこうと思います。
退職を決意して以降、いちばん最初に決めた南の島逃亡計画だけは何とか死守すべく、8月末に1週間を夏休みとして確保したけれど、同居の妹がコロナ陽性となり、私も濃厚接触者で自宅待機を余儀なくされ、1週間の在宅勤務になりました。この1週間はあくまでも「在宅勤務」で、休暇を取ったわけではないけれど、私の性格上、1週間出勤しなかったのに「予定通り8月末に夏休み1週間いただきます〜」とは言えない。たぶん言えない。
こういう訳の分からない気遣い、しなくていいのに、しないことに罪悪感を覚え、無視できずに結局自己犠牲でストレスを抱えるのです。周囲はそんなこと望んでないかもしれないのに。
私は、読まなくてもいい空気を読んで、気にする必要がないことを気にするし、なのに、読まなきゃいけない空気は読めない自覚があるので、常に誰かに怒られるのでは、と思いながら生きてます。あと、「〜すべき、〜でなければいけない」思考も強いです。そして、その摩擦で勝手に疲弊していく、という精神疲弊オートマシン搭載の44歳です。面倒臭いです。
ですが、この性格は、私の本業である秘書としてはそこそこの適性を見せるのです。気遣って欲しいポイントは上司によりけりなので、ここが合わないと相性最悪になるのですが、この読んで欲しい空気のポイント、気にして欲しいポイントが合致すれば、行動のひとつひとつがヒットし、「気が利く」と思われてそれなりにいい業務関係を構築でき、それなりに評価も上がります。自分で言うのも何ですが、私は後者のパターンで、今のボスとは諸々あれど、相性が良かったのか何とか8年間やって来られました。事務所にもう1人いる例の運転手(48歳児)はこのポイントをことごとく外していたので、余計に私への評価が高くなっていた気がします。
ただボスは、猛烈なパワーを持った上司にありがちな、無茶振りや言葉足らずの指示が多いのです。それに応えようと、10しか出せない力を何とか血を流す勢いで頑張って12で返すと、それが当たり前になってしまい、次回以降も当然のように無理することを強いられてしまう。そして、指示も言葉少なの感覚的なものが続けば、察しきれない部分も出てきてしまう。どんなに相性が良くたって、感覚までは合致しない。でも察することもできるポイントがある分、その誤差が際立ってしまって、ボスからは苛立ちの空気を感じ取って、私は疲弊していく。8年間、このループです。
ここで問題なのが、そもそも感覚的な言葉足らずの業務指示なんて、確実に理解できなくて当たり前なのです。分からなくて何度か質問して不機嫌になられても、それは私の問題ではなくてボスの問題なのです。ボスとて、別に仕事さえしてくれればご機嫌取って欲しいなんて思ってないだろうし、割とすぐ機嫌は戻るし、そこまで気にする必要はないのです。
元気なときは「仕方ないじゃん」でスルーできていた部分もあるのに、ここ1年弱は色んなことが気になってしまって、相手の機嫌が戻ったことを確認するまでは居ても立っても居られない心境になって、余計な行動起こして、またさらに不安になる、みたいな負のループに陥ってました。モラハラにハマる典型バージョンですね(笑)今思えば、これも精神的疲労によるものだったのかもしれません。鬱症状と言えばそれが鬱の始まりだったのかも。
では、なぜそんなに疲れてしまっていたのか。私は日頃、ボスの時間軸、判断軸で1日の大半を過ごしており、就業時間はあれど何時に終わるのかはその日、その時にならなければ分かりません。あと、土日の呼び出しも何度かあります。家庭もないし(笑)、仕事は嫌いではないので、元気な時だったら気にならなかったのですが、この1年はそれがしんどくてしんどくて仕方なかったです。
あとは、言っても仕方ないけど、同僚(例の運転手、48歳児)との関係ですね。彼が結婚して以降は、モラハラ行動はかなり減ったけど、やっぱり彼からは頼られる一方で、私に何かあっても頼れない、ちょっと何か頼むとすぐにキャパオーバーになって不機嫌になる、無視が始まる、という究極の器の小ささで、小さな事務所内で唯一の同僚が彼だけというのは、かなりの負担でした。
でも、それが外部にはわからないんです。業務だけでなく、この精神的負担も1人で抱えねばならないのはしんどかった。退職の話をした際、彼と接する大変さについてはボスに泣いて訴えたけれど、やっぱりボスが思う彼の印象と、私が体感している彼の姿は違うし、彼に問題があるのは周囲の共通認識なれど、本質的なしんどさはなかなか理解されない。これも典型的なカサンドラですね(笑)
総じて、私の問題点は、他人の感情と自分の境界線が曖昧になってしまい、相手の不機嫌さや不穏な空気と一体化し、そこに「〜せねばならない」理論を持ち込んで自分を追い込み、自信のなさに拍車が掛かって相手の承認を求め、それが上手く行かない状況が続いたことに疲弊してしまったのでしょう。
不機嫌な人はほっときゃいいんですよ、自分の機嫌は自分で取らせればいいんです、自分の仕事さえちゃんとやっていればこちらのせいではない。理屈では分かっていても、そう言う場に出喰わすと、その空気にはなかなか耐えられないものです。
だって私「ちゃんと」やってるのかな、何か地雷踏んでるんじゃないかな、でもボスからの指示は曖昧だし、情報共有も曖昧だし、分からないことあっても外に確認していいことと漏らしたらいけないことの境界線が分からないし、そういう中で唯一の同僚がムスッとしてるのはイヤなものだし、ボスから曖昧に重要事項を振られるのもしんどいけど、見限られて単純ワークになるのもしんどい。結論の出ない問いを頭の中でぐるぐる繰り返して、湧き出る不安で溺れそうになる。
これが私の性格によるものなのか、職場の特殊性によるものなのか、分からなくなる。だって、この業界の秘書はみんな超絶しっかりしてるんだもん。本当に感情が揺らがないというか、常に笑顔で人当たりはいいのに、相手と感情を分かち合うことをまるで求めていない。そういう人たちを見てると、ウジウジ悩んでる自分の器の小ささを痛感せざるを得ない。
ていうか、そもそもなんで辞められないんだろう。老いたボスの疲れた横顔や、もつれた足取りを見ると、この人を置いていけない、と思ってしまうし、辞めようとしている自分がものすごく薄情に思える。そしてそんなこと思ってる自分が偽善者にも思えてくる。もう何なんだ、一体。
とは言え、濃厚接触者になって1週間在宅勤務して少し冷静になれたのは、まとまった休息が功を奏したのでしょう。やっぱり休みが必要だったんじゃん。医者の言う通りじゃん。診断書持って行ったんだから休職させーや。
そんなこんなで、現在、職場に戻って参りました。そして、月末の夏休みだけは何とか確保しました。今までの自分だったら手放してたと思うけど、もうこんな状態はいやだと心底思ったので、夏休みは外せない所用があるので予定通り休ませていただきます、と伝えましたわ。ボス、不服そうだったけど。
またぼちぼちやっていきます。ひとまず、来週からの南の島逃亡計画が心の支えです。]]>
ここ最近の燃え尽きた人。
http://idspangle.exblog.jp/31612611/
2022-06-09T01:17:00+09:00
2022-06-09T01:39:50+09:00
2022-06-09T01:23:56+09:00
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ボスは高齢だし偉い人だし、ビジネス的なことは周りにハイレベルな専門家がいるので、私の仕事はボスの日々の雑用が主。しかし、雑用と言えども、ひとつひとつは大したことなくても5つ6つ同時に重なると、殺人的な忙しさになる。電話対応してるときに来客が来て、ボスにも急ぎの用件で呼ばれて、コピーやらメール返信やらお茶出しやらが一緒に来ると、その忙しさは目の回るほど。お昼食べてる時も関係なくボスからはお呼びがかかるし、急ぎの用件を対応中でも更に急ぎの用件が降ってきて、そのタイミングでコーヒーのお代わりちょうだいとかって言われるし、果物切ってって言われるし、急ぎの事務対応を申し付けたばかりのタイミングでなぜそれを言う、とよく思う。
事務対応にしても、ボスの指示の下で確認しつつ進めても、出来上がったらボスの気が変わって全く別の形にやり直し、なんてこともザラ。もうやってもやっても砂を掘るような感じで、ただ言われたことを言われるままにこなすだけで、ここ数年は仕事で何かに到達した感がない。
そして金曜、泥のように疲れ切って、縋り付くように土曜の休息を待ち望んでいると、金曜の夕方に土曜出勤を言われる、もしくは、土曜寝てるところを呼び出されることも多々。大袈裟とは思うものの、心が千切れるようなものすごい絶望感に苛まれ。
で、唯一の同僚は発達グレーの48歳児。完全一方通行な思考回路で全く話が通じないし、情報共有なんてできるはずもなく。
そんな日々を8年ほど送っていたらですね、私、この度ついに病みました。主治医から、鬱病だから休職しなさい、とな。
だけど結果的に休めなかった(笑)。ボスには、鬱病?なにそれ?的な感じてスルーされてしまい、ご夫人に泣きついて2週間だけでも休ませて欲しいと伝えたところ、ボスもやっと対応してくれたものの、来客の多い今の事務所ではなくて日中は誰もいないボスの書斎で書類整理をすることになった。
診断書持っていっても休職できないって、そんなことある?と思ったけどそんなことあった(笑)。書斎ならゆっくりできるだろ?と言われたけど、全力で、そういうことじゃない、と思った(笑)事務所不在中の電話は私の個人携帯に転送。メール対応ももちろん私。書類作成も継続。ただ、来客対応をしなくてもよくなるので、インターホン対応とキッチン仕事が減るだけでかなり楽にはなる。そして48歳児との接点が格段に減る。
そんなわけで、しばらくは倉庫のような書斎でひとり過ごし、おかげで肉体的な疲労はかなり緩和され、48歳児からのストレスもほぼなくなり、結果的にはよかったのかな、と思った。
けど、1ヶ月、2ヶ月経つと、設備がそれほど整っていない書斎でボスからは事務所レベルの設備前提の事務作業を求められるようになった。そして48歳児からの訳の分からない依頼事項も増え出し、書類の整理もボスの超絶こだわりが再発揮されるようになっても、力が枯渇してしまってもう何にも対応できなくなってしまった。これまでの私なら、書斎で仕事が終わったあとに事務所に行ってでも作業したかもしれないけど、もう動けなかった。
すると、今まで私には比較的優しかったボスと上手く噛み合わなくなり、なんか今は毎日怒られてる(笑)。ボスは恐らく無気力な私の働く姿勢に不満があるのだとは気付けど、勤務して以降ボスの役に立ちたいと思っていた心からはもう何の力も湧かない。典型的なバーンアウト症候群。
実は、もっと出来たんじゃないか、動けない今の自分が甘いんじゃないか、と、ついさっきまで自分を責める気持ちがありましたが、これを書いてて、あ、別に私悪くないかも、と思いました(笑)。限界超えてがんばったよ。その限界超えた状態がいつしか標準レベルになり、いまの体調不良だけが強調され、不満を持たれてしまっている環境に、罪悪感は抱かなくてもいいのかもな。。。もちろん、体調管理できなかったことは私の責任ですが。
高齢のボスが完全に事務所をクローズするまでは秘書を務めるつもりでいた。でも、どうしてももう力が出てこないんだよ。幸い、ボスの高齢に鑑み、いつ何があってもいいようにキャリアチェンジの準備は少し前から初めていたので、退職したとて食うには困らないようにしてあるけど、そう遠くない未来にボスは事務所をクローズさせたはずなので、最後まで続けられなかったことに対してはやっぱりすごい自責の念です。
ただ今はこれからのことを考えるよりも、とにかく休みたい。1か月くらい、海の見える場所で静養したい(笑)。いまはそれを希望にして、あとしばらく頑張ります。
守るべきは心身の健康だ。]]>
納得できなくて苦しいこと
http://idspangle.exblog.jp/30481356/
2021-04-06T05:26:00+09:00
2021-04-06T05:27:19+09:00
2021-04-06T05:27:19+09:00
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だけど、世の中の「何もしない夫」に対する妻のやるせなさや苛立ちがとてもよく分かるのです。
職場には、別室の上司以外に私と男性スタッフの2人しかいません。この人がかなりの曲者で、彼は何の悪意もない男尊主義者なのです。例えば、私が電話中に来客のインターホンが鳴っても、接客は女の仕事だと認識している彼は動きません。インターホンが鳴り続けていてもデスクに座ったままです。来客対応と、仕切りになる電話と、メールも返さなきゃだし、ボスから事務仕事は降ってくるし、お昼も食べられずクルクル動き回る私の側で、ソファにデンと座って、嫁の作ったおにぎりを食べて、新聞を広げている彼。
まぁね、確かに私も「察してちゃん」は良くないと思って、これまでも手伝って欲しい時はちゃんと声かけてきましたよ?でもね、やってほしいことを伝えるにも、例えば「電話に出てください」だけじゃダメで、「電話に出て、要件聞いて、担当の人の名前聞いて、連絡先聞いてください」って言わないとダメで、連絡先聞いてって言わないと連絡先聞いてくれないんですよ。それなのに「やってやってる感」がスゴいんですよ。女性を助けてやってるオレ感が。それで私が「何で連絡先控えてないんですか?」って言うと、「そんなこと言われてませんよ!」って不機嫌になる。コピー撮るのお願いしても、どの用紙でどの向きで、どう撮ったらいいんですか?ちゃんと指定してくれないと分かりませんよ、もし違っても文句言わないでくださいね、的な。万事そんな感じなのでね、彼に頼む手間を考えたら、多少しんどくても自分でやった方が早いわけです。なので、ボスも「彼には何も任せられないんだよ」と、大概の仕事を私に振るわけです。それでさらに私は忙しくなるわけです。
ゴミも自分のタイミングでまとめてしまうし、そのあとゴミ袋セットしてないし、本当に忙しい時はこういうのがものすごい手間になるし、ストレスになる。でも、彼の中では「ゴミを捨ててあげてる」なのです。休日出勤でボスからお弁当いただいた時、私は忙しくて食べる間もないのに、自分が食べ終わったらゴミ袋まとめて捨てに行った時は虚しさで愕然としたわ。
で、ふと気がつくわけです。あれ?これって職場というより家庭内の悩みじゃね? 家事子育てに無関心な夫に対する虚しさと同じじゃね?これ、同僚に対するというより夫に対する苛立ちじゃね?って。
私、こういう思いしたくないから独身でいるのに、これ何の修行よ? 独身なのに結婚生活の辛さだけ授与されてるってなに?え?本当になにこれ?
ヤツは結婚1年目にして子ども1歳。私と同等な稼ぎだと仮定して東京で1馬力で嫁子ども養うのは相当大変だろうに、妻には専業主婦を希望し、嫁に経済力を持たせないことで自分に従属させて、何とかプライドを保っている。彼の子どもの学資保険か何かの相談に乗ってるとき、「自分の下に留まらなくなるから奥さんに経済力持たせたくない」的な発言が忘れられん。と同時に、あぁこれが結婚の現実か、と愕然としたわ。
この人、下手に人当たりがよくて、お兄さん気質で、ルックスがいいから、ずっと許されてきたんだろうな。自分を持ち上げてもらえなくて不機嫌になることも、自分の傍らで食事もできずに動いている女性がいても自分はくつろいでいることも、全部ぜんぶ。
「私はあんたの母親でも嫁でもない」とずっと苦しかったけど、最近は諦めた。諦めて私は相変わらずクルクルと忙しくしてる。そしたら今度は、今までやいのやいのと文句を言ってきた私が無になったもんだから、無視されてる可哀想なボク的なカンジを醸し、実際にミスばかりしてボスに怒られまくっている。
なんでそれで許されると思ってるんだろう。でも言って理解してくれるとは思えない。また亭主関白夫みたいな振る舞いにすぐ戻るだろう。もう諦めるしかない。諦めて全部我慢して、全部私がやるしかない。ストレスでおかしくなりそうだけど、自分の心身を守りながら自分ひとりでやってくしかない。ヤツはいいな。職場では私に面倒見てもらい、家では妻に面倒見させ。
ただ唯一、結婚への幻想を打ち壊してくれたことだけは感謝する。彼を見ていなかったら、結婚してない自分に罪悪感を持っていたかもしれない。
もう何がなんだか分かりませんが、本当に働くって大変ね。やれないことはやらない人が最強だと思う今日この頃です。]]>
完全勝利を宣言するものである。
http://idspangle.exblog.jp/30291449/
2020-11-12T15:47:00+09:00
2020-11-16T12:01:11+09:00
2020-11-12T15:47:58+09:00
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まだ最終結果は出ていませんが、おかげさまで一次試験はパスしました。
受験したのは、社会人を対象とした夜間の専門職大学院で、例年倍率が高く、多ければ9倍、少なくても6倍。今年は約7倍で、一次試験後、受験者は半分以下に絞られ。
自分で言うのもなんですが、私、がんばったわ。
研究したいと思っている分野を仕事を辞めずに学べるこの学校にずっと興味はあったけど、専門職大学院という性格上、研究を自分のキャリアにどう繋げたらいいのか不透明なままでは受けられず、いつか行けたらいいな程度の抽象的な願望だった。
でも、とある資格取得を考えた時、この大学院にも同じ研究領域があり、資格+修士レベルの知識が有れば仕事の幅がかなり広がるし、本来なら7月だった筈の入試がコロナの影響で10月に延期されたことを知り、夏休み前、急にスイッチが入った。
その時点で、願書の提出期限まではあと2か月弱で、入試本番まではあと3ヶ月弱。願書の提出日までに、ほぼ初学の分野の研究計画書を完成させなくてはならない。
入試までには、専門分野以外の領域全域に亘る基礎用語を暗記し、研究方法の基礎を習得していなければならない。
冷静に考えたら間に合わない。
間に合わないのだけれど、私は日頃からあまり冷静ではないので、なんか間に合うような気がしてしまったのです。
久々に私本来が持つ「怖いもの知らずモード」が全開となり、しわっしわに日々疲れ切っている独身アラフォーの、どこにこんな底力があったのかと思うくらい、あり得ないほどの勢いで、あたま取れるんじゃないかなと思うくらい勉強した。
で、
たかが一次試験をパスしただけなのに何なのですが、これが私の中では本当に大きなことで、合格発表に自分の受験番号を見つけたときはマジで泣いたわ。
実は、大学院入試は今回で3回目なのです。
1回目は、大学在学時に合格していて卒業後そのまま進学する予定だったけれど、人格クラッシャーによる諸々の策略にまんまと嵌ってフリーターとなり、
2回目は、人格クラッシャーの下、関西でタコ部屋に囚われタダ働きしているときに、何とか支配から逃れようと試みたものの、一次試験で不合格。
それで今回です。
学歴にばかりこだわる肩書き主義の人間、
頭が悪い、
要領も悪い、
何を言っているのか分からない、
あなたの能力では勉強しても意味がない etc...
人格クラッシャーから言われ、真に受けてしまったこれらの言葉。
その影をね、今回の一次試験突破で払い除けました。
数年前に一切の付き合いを断絶したとは言え、
心に染み付いたままだった人格クラッシャーの影から、私、完全に解き放たれたわ。
彼女の下で治療マターになる程だった狂気的な日々。
大丈夫。
わたし頭悪くない、純粋に学ぶことが好き。
要領も悪くない、3ヶ月でここまでやれた。
口頭試験でも私の言っていることはちゃんと伝わった。
本気で勉強したらある程度のところまでは行ける。
それが体感できたので、私はもう大丈夫なのだ。
よってここに完全勝利を宣言するものである。
追伸:
二次試験で落ちてたら、また来年受けます。
]]>
要は治療案件だったということ。
http://idspangle.exblog.jp/30170200/
2020-08-07T04:51:00+09:00
2020-08-07T05:14:51+09:00
2020-08-07T04:51:02+09:00
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これ、2019年の1月に書いたものなんですけどアップせずにいました。でも今読み返したら面白かったので(笑)、私の人生の貴重な1ページとして載せたいと思います(笑)。
ちなみにこの彼は、先頃私とは別の女性と結婚し、この春に父となり、今だに一緒に働いてます。現在の関係性は至ってフツーの同僚です。
———————————————
2018年は4月に1回しかアップしてない。
2019年は2回以上はアップするようにしよう。
あのですね、人を好きになったんですよ。久々に。
これがまた一筋縄ではいかない人でね、まさか40を前にして色恋沙汰をこんなに拗らせるとは思っても見なかった。仕事はバリバリ頑張るけど、そっち方面に関しては私はもうひっそりと静かに余生を送るつもりでいたのでね。。。
で、私も変に大人になろうとしたのです。
恋愛などという到底理屈では対撃ちできないものに対して、理屈で立ち向かってしまった。何せ仕事が絡んでいたので。
周囲の状況、相手の性質、諸々の外的要因を俯瞰で把握し、冷静な大人の脳みそは「これ以上、追うな」と判断した。自分がどうしたい、と言うよりも、社会人として状況判断で答えを出してしまったのです。
もし、なりふり構わず「好きだ」という気持ちだけで相手と向き合えていたら、例え叶わなくてもここまで拗らせなかったのかもしれない。もう白黒つかない日々が2年以上も続くと、精神の摩耗が激しくて。
そこで、そもそも何に囚われているのか、よく考えてみたのです。
やっぱり、根底にあるのは「不安」でした。
これは、独りでいることの不安、女として枯れていく不安、ではありません。そんなものとっくに覚悟できてるわ。
では、何か。
かなり改善したとは言え、私の心にはまだ自信のなさや自己肯定感の低さが巣食っていて、自分のことが不安で仕方がない、みたいな発作的な瞬間があるのです。仕事面ではないですよ?仕事的な判断はそこそこ自信あるので、仕事面で不安になることはそんなにない。でも、パーソナルな部分ではまだまだある。
そんな中、誰に誤りを指摘されても自らの考えを改めない彼の思い込みの激しさが、精神的な強さに見えた。ブレない姿勢がとても頼もしかった。そこに甘えたくなったし、その傘下で庇護して欲しいと思った。
また、彼も変にお兄さんぶりたがる人でね、女の前ではお兄さんぶりたがる彼と、後ろに下がって守ってもらいたい私の、「理想的な男女の立ち位置」が変に合致してしまったんですよ。
加えてその頃は、私が専門的なカウンセリングを受け始めて少しずつ人格クラッシャーの呪縛から解放されつつあった時だったので、10数年ぶりに異性を好きになる心を取り戻せたことが純粋に嬉しかった。その過程の中で、彼と結ばれることが治療のゴール、みたいなストーリーを心の支えにしてしまって、彼を救世主のように思ってた。
私が立ち直っていく中で、間違いなく彼は精神的な支柱となり、そのストーリーは心の中で劇的な色彩を帯びてしまったのです。
でも、残念ながら、私たちが出会ったのは仕事の場で、
残念ながら、彼は仕事ではリーダー的な舵取りに長けているタイプではなく、
更に残念ながら、私は仕事となれば一歩後ろになど下がれないタイプだったのです。
職場には経営者である上司を除けば、スタッフは彼と私しか居なかったのですよ。私には魅力に思えた彼独特の思い込みの強さはこの職種では致命的で、私が修正して舵を取らざるを得ない場面が多々あった。そうなると彼は面白くないわけです。私も1人でこなさなければいけない仕事が増え疲弊してしまって、関係性は拗れるばかり。
しかも、彼は私の気持ちに気付いていたので、気に入らないことがあれば拗ねる、無視する、を繰り返して私にマウントを取りおって(笑)、モラハラ夫に迫害される妻、みたいな職場環境になってしまい。
私も相当悩みましたが、最終的には彼に好かれることよりも職場であることを優先し、無視されれば職場で子どもみたいなことすんなって言い返してたし、怒鳴られればその倍は言い返してたし、殴られそうになっても殴ってみろよって言い返してたので、更に関係性は拗れ。
でも、こんな状況でも恋する女は盲目なので(笑)、なんだかんだで彼は最終的には私を選ぶのではないか思ってました。これらの悪態はただ私に甘えてるだけでそういう不甲斐なさも愛おしく、この業界は特殊で分かり合える人はなかなか居ないのだから、仕事では私があなたを支えるから、女としては甘えさせてくれないかな?と。
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はい。当時の記載はここまで。
本来はPTSDの治療のため受け始めたカウンセリングが当時はただの恋愛相談の場と化してしまい、ある日カウンセラーさんに言われました。
「あなたにとっての彼は、おそらくあの人格クラッシャーと同じ存在。彼にあのクラッシャーのような恣意的なものはないかもしれないけど、囚われ方は同じ」と。
合点が行き過ぎてひっくり返るわ。そうだわ。あの人格クラッシャーと同じだわ。さすがプロは観点が違うわ。結局は私の歪んだ自己肯定感の低さと自信のなさが原因だわ。自分から囚われに行ってるわ。要は治療案件だわ。
で、この後も諸々ありましたが、一度だけ正面切って気持ちを伝えてみたことがあるけど、彼からはYESもNOもなく(まぁYESと言われない時点でNOなのですが)、彼の八つ当たり系の甘えは加速し、昨年の今ごろ彼の結婚か決まったと人伝いに聞かされ。と同時に、どういう訳か彼は私に手作りのお弁当をせがむようになり、私もバカで結婚までの一瞬だけでいいから良い思い出をくれ、みたいなテンションで応じてしまい。。。典型的なダメ男ダメ女の関係性に陥りましたが、なんとか一線は越えずに今日に至ります。
入籍後、彼は職場で私に張り合うようなことは一切しなくなりました。精神的にものすごく余裕が出たようです。
察するに、家庭を持って父にもなったことで、独身で年齢的に出産は難しくなった私より完全に優位に立ったと認識したのでしょう。仕事にも協力的になり、相変わらずトンチンカンな上から目線のアドバイスをよくくださってます(笑)
ちなみに、彼が私にしきりに手料理を望んでいた時期に、奥さんの妊娠が発覚したそうです。結婚前なのにね。ダメなやつ。ダメなやつってどうして魅力的なんだろうか。
しかし、私はこれにより更にカタブツ感が増し、鋼鉄の仕事脳を手に入れたので、今後間違いは犯すまい。
学んだことも多い。結婚する男のリアルを間近で見られたのである意味良かった。結婚がこんなことなら、いらん。自分に女性として何が足りないのかもよく分かった。分かった上で、補う必要性を感じなかった。すまん。私にもう遺伝子を繋げようという気は起きない。
なんかまとまらないので今回はこの辺で切り上げます。
また人を好きになれて良かった。それは本当に感謝してます。あと、少なからずあった結婚の幻想をぶち壊してくれたことにも同じくらい感謝してる(笑)。
長い間かけて治療案件でした。私は自分で思ってるよりもダメではなかった。
また一つ魔法が解けました。
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1999年の私。
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2019-11-12T05:57:49+09:00
2019-11-12T05:57:49+09:00
2019-11-12T05:57:49+09:00
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現役で受けて、浪人して受けて、仮面浪人してもダメで、そこまでダメだといよいよ諦めもつくというか(笑)。
だけど、その頃には割と気分的にはスッキリしてて、1年の後期から休学してた大学に戻って、1年生をやり直すことにしました。
そしたらね、気分が呼ぶ環境って不思議なもので、昨年はあんなにふて腐れて孤独だったのに、すんなり友人もできたし、好きな人もできたし、授業も割と楽しくて、やっと大学生活を基盤に乗せることが出来たんです。
それでも、サークルとかコンパ的な学生ノリが嫌いで、それが嫌いであることに変なアイデンティティを持ってしまう痛さは健在でしたが。。。
それでも、この1年で特出してるのは恋愛です(笑)。
大学で親友に出会えたことも大きいです。
彼女とはお互い一人暮らしで、当時は今と違って夜中の2時、3時でも割と安全に出歩くことができたので、夜でもしょっちゅう一緒にいて、お互いの家を行き来してました。ちなみに、彼女とは今だに仲が良い。
で、19や20の女の子なんて、基本怖いもの知らずなんです。恋愛のシチュエーションにどっぷり浸かってそこに全力で迷いなく酔うことが出来るんです。
だから彼女には彼女の、私には私の、陶酔シチュエーションがあって、それを夜な夜な会話の中で共有させることで余計に陶酔していく、みたいな、女の子特有の共鳴感で以って若さゆえの特典を満喫してました。とはいえ、当時は必死だったんですけどね。
私が好きだったのは、大学の先生(独身)。
向こうも私を可愛がってくれて、明確に付き合ってはいないけどコンプラ的にはアウトだろ、みたいな関係性で、完全にアウトになるギリギリの一線で「君は僕の生徒だよ、これ以上好きになっちゃいけないんだ」みたいなことを曰う、典型的な男のズルさを持った人だった(笑)。今ならそんなこと言われたら「だったらお前、深夜に一人暮らしの生徒の部屋に来んなや」って言い返すけど、その時は「先生。。。(うるうる)」みたいな。「あぁ叶わない恋」みたいな。
たぶん、その先生も、あくまで常識的な範疇で「女子学生に好かれるオレ」を堪能していた気がする。まだ若かったしね。たしか彼も30代になったばかりだった。しかし、好かれているシチュエーションには酔えど常識を逸脱する人ではなかったので、怖いもの知らずで向かってくる女子学生に対して、最低限、誠実であろうとしてくれていたのでしょう。
それで、それまで引きこもりで思春期を拗らせに拗らせきった私が、何故そんな強気で恋愛シチュエーションに酔えたのかと言うと、引きこもり後半、軽く摂食障害にかかって、かなり痩せたのです。
それまでも標準体重ではあったけど、太っているというコンプレックスから少しだけ解放されたことにより、服を買ったり、メイクをしたり、髪型を変えるのが楽しくなった。
それまでは、そういう女の子グッズは自分のものではないと思っていたのです。
だから、学生ノリが苦手な自分を特別視したままでも、スカートが履けるとか、ウエストのくびれが出る服が着れるとか、髪の色を変えられる、とか、それを以って異性に向かえる、とか、純粋に楽しかったんだと思う。そして、それを一緒に陶酔してくれる親友を得たことが。
あと、この頃は1番モノを書いていました。初めて舞台の脚本を書いたのもこの年です。そのときに書いていたモノや作風は、割と今でもベースになってます。
人を好きになったことや、女性としての自分を手にできたことで、開花した何かが確実にあった、そういう私の人生の中でもとても重要な1年でした。
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2018/04/09
http://idspangle.exblog.jp/28238858/
2018-04-09T14:29:45+09:00
2018-04-09T14:29:44+09:00
2018-04-09T14:29:44+09:00
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未分類
仕事は楽しいです。
接客のノウハウも、大学で学んだ知識も、英語翻訳作業も、これまで培ったものを全部満遍なく使わせてもらっているので、やりがいもある。
まさかこの界隈で働けるとは思わなかったけど、ここに居るとなんとなく人生がしっくりくる感じがして、もう多分、転職することはない気がする。向こうから「いらない」と言われない限りは。
それでも、日々知識と認識の足りなさは痛感していて、もっといろいろ出来るようになって、役に立てるようになりたいと思う。
住みたい街に住めて、
着たい服を着ることができて、
やりたいと思える仕事をやらせてもらい、
それによる社会的な立場にも満足していて、
友だちにも恵まれている。
私は運が良い。
社会的な立場の一切を失ったほんの数年前から、ここまで這い上がれるだけの底力を、教育として与えてくれていた両親には感謝している。親とは諸々あったけど。
生活が安定しているというのは、本当に大切なことだ。この安定をきちんと自己管理して守りつつ、その上で、また私なりに勉強していきたいなと思ってる。
勉強したいのは社会心理学。
大人になることの最大の利点は、不安定なものを理屈で理解できるようになることだ。
私の心に名付けられてしまったPTSDと解離性障害という病名も、どういう理屈で起こってしまったことなのか、学問の側面から理解できればもうこれまでのような底無しの不安などは感じない。
私にとって、不安や苦痛を消化させるものは精神医学や心理学といった学問的見地であった。哲学や思想ではなかった。無論、宗教や自己啓発論なんかじゃなかった。
心も人間の持つ1つの臓器。
その中には過去から未来へ向かう時間という血管があって、記憶はそこを流れる血液。
その記憶の血液が、今日から明日にスムーズに流れなきゃ、その血栓はいつか病へと変わる。他の臓器と同じように。
それが分かったことは、私が立ち直る過程で何よりも大きかった。
私を踏みにじった人たちも少なからずいたけれど、気づかせてくれた人たちの存在の方がずっと大きかった。
彼女からは事につけ「あなたには感謝の心が足りない」と言われていたけれど、私の人格を搾取するような人に対する感謝なんて、無くて当然。私は、私を引っ張り上げてくれた今の人間関係には本当に感謝している。
これから、どんな人生を送るのか分からないけど、ひとまずは大丈夫。
非力ながらも、これからまた勉強して、洗脳やマインドコントロールで苦しむ人に対して、私の経験を少しでも役立たせることができればと願っているのです。
私はタダでは起きない。大丈夫。
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1998年の私。
http://idspangle.exblog.jp/27577234/
2017-11-04T07:11:00+09:00
2017-11-04T07:12:38+09:00
2017-11-04T07:11:45+09:00
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未分類
第1志望どころか、受けた大学、全部落ちるという事態に。受けた大学が全て不相応だったんです。これは自覚あります。受かるとも思わず、だけど受からないとも思えず、雲の中を歩くような感じで。
雲の中は無意識なら歩けるんです。
それが空中であることを自覚してしまったら、ただ落下するだけ。だから、地に足がついていない感覚はありつつも、精神のバランスを保つために雲の中を止まらずに歩くんです。
普通なら20歳ともなれば傷ついてでも現実を分かり出す時期ですが、その約20年後に解離性障害と診断されたことを思えば、あの現実感のなさもなんか納得できる気がする。
あのときの私には理想も現実も暈かす雲が必要でした。
話を戻しますと、
それでも3月後半に這々の体で受けた大学になんとか合格し、その年の春から大学生になれました。
父は落胆し、今度は予備校に通ってもう1年浪人することを勧めてましたが、私が浪人生活に疲れ切ってしまって、もうイヤだ、と拒絶しました。
望んだ東京での生活ではなかったけど、埼玉の奥地に部屋を借り、一人暮らしも始め。
ここなら東京まで直通で50分。電車も1時間に4本。
山奥から出てきた私にとっては、十分に都会でした。
でもね、大学には1ヶ月で行けなくなったんです。
女子校女子寮上がりで、しかも1年宅浪してたせいか、女子学生が1/5しかいない環境に適応できない。これまで友達作りに困ったことなんてないのに、気軽に話せる友達ができない。
そうなると、第1志望だった大学が余計に良く見えて、やっぱりもう1年浪人した方が良かったんじゃないかと更にドツボにハマって、ゴールデンウィーク過ぎには引き篭ってました。
それから夏までは何もしていません。ほぼ記憶もない。ただただ殷々鬱々とした一人暮らし生活で、ブツブツとものを書き連ね、拒食と過食を繰り返してました。
でも、そもそもが内に篭り切れない性格なのでしょう。
夏休みに1ヶ月、住み込みのリゾートバイトを始めたんです。リゾートバイトって言っても、地元がリゾート地の近くなので、ほぼ地元でバイトしてたみたいなものなんですが。
そこでは仲間に恵まれて、仕事も楽しくて、リゾート地だから空気は澄んでるし、住み込みだから割と規則正しい生活をして、割と深い話もできる人に会えたりとか、好きな人ができたりとか(笑)、諸々あって夏が終わる頃には引き篭りから脱出してました。
髪型変えたり、ファッションも流行りに寄せたり、ちょっと痩せたのもあって、外に出ようという気になった。相変わらず大学には通えなかったけど、もう1回だけ第1志望の大学受け直そう、それでダメなら来年の春から今の大学にちゃんと通おうと気持ちが切り替わり。
埼玉のアパートに戻ってからは、大学の図書館に毎日通って受験勉強して、家庭教師のアルバイトも始め、音楽もちゃんとやりたいと思ってボイストレーニングにも通い始めて。気持ちはどんどん外に向いて行きました。
この、ボイストレーニングスクールでのトレーナーとの出会いが、私の人生を大きく狂わす、というか、変える、というか、とにかく、その後エライことになっていくわけです。
そんな感じで、子ども時代の落日のような、大人への夜明け前のような、そんな私の1998年でした。]]>
1997年の私。
http://idspangle.exblog.jp/27567393/
2017-11-03T09:29:00+09:00
2017-11-04T07:17:13+09:00
2017-11-03T09:29:02+09:00
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通学に2時間以上かかっていたので、受験勉強のことも考えて最後の1年は寮に入った。
寮は楽しかった。
もともと第1志望に落ちて入学した高校だったけど、それまで腹痛、貧血、婦人科系の病気発症と家庭内ロックに包括されてた私の高校生活が、同世代の女の子たちとワチャワチャしながら生活することで随分と彩り豊かになった気がする。
それで、大学受験。
高校3年の夏に婦人科系疾患の手術のため入院していたので、現役合格はまず無理だろうと思っていた。
音大にも行きたいと思っていたけど、それもまず無理だろうと思っていた。
第1志望に学力は到底及ばない。どうしても学びたい専攻があった。あと父親がその大学を大絶賛していた。
そんな自己承認欲求と、そもそものファザコン的気質と、知的欲求と、東京出たい欲求と、地元嫌い欲求と、自分ではない自分になりたい欲求と、捻れ現象を起こしたアイデンティティクライシスが尋常ではないエネルギーを生み出し、浪人生活に突入。
当然の如く現役合格は叶わなかった。叶うわけがなかろう。
予備校には通わなかった。
たまたま補修を受けた高校の英語科の先生が私を可愛がってくれて、その先生に時々指導を受けていた。
それと、ひたすらTOEFL対策。
大学受験の勉強の仕方としてはあまり効果的ではなかったのかもしれないけど、あれでヒアリング力はかなり伸びた。
あとは、県立図書館の自習室。最上階にある軽食屋さんの山菜そば。
肌荒れで悩んでいて、しょっちゅう食べていたアロエゼリー。
声楽も続けていた。水色のドレスで初舞台。いつかは音楽で世に出たいと思っていた。
文章を書くことも日課になっていた。あれはジャンルは何ていうんだろう。詩か?散文か?短編なのか?? いつか世に出るときの布石になると思って、ひたすら書いていた。
あの1年間の、そういうシーン1枚1枚はよく覚えてる。
でも、完全に静止画で、まるでリアリティがない。
目指す世界と現実があまりにも乖離していて、かと言って、そこから目を離せば、背後にある得体の知れない滑りに発狂させられてしまう。とにかくひたすら、言葉を紙に綴る。
そういう、まるで雲の中を歩いていたような1年を送りました。]]>
2017.7.29
http://idspangle.exblog.jp/27016989/
2017-07-29T08:32:00+09:00
2017-07-29T08:41:39+09:00
2017-07-29T08:32:30+09:00
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おはようございます。
このブログを始めた時はまだ大学生で東京にいました。
そこから都内で働き始めて出身県の都市部(あんな田舎に都市もないが…)に移り、そのあと地元に戻りました。
もうそこから動くことはないであろうと思っていましたが、なんだかんだで大阪に移り住み、結局、今は東京にいます。
やっっっっっっと「一生していたい」と思える仕事にも出会えました。
とんでもない人格クラッシャーに17年近く騙されたりもしましたが(笑)、それでも拾ってくださる方がいて、本当にありがたいと思ってます。
私は今年39歳になりました。
29歳で地元に戻ってから10年間、いろんなことがあり過ぎて、特に2014年から今日までの4年は「よく生きてたな」と思うほど色々あって(人格クラッシャーのせいで 笑)。
だけど、そんな人格クラッシャーに搾取された17年を凌駕しても余りあるほど、私の人生には頼れる方々がいました。
「助けて」と手を伸ばした時、その手を掴んでくれる人たちがいました。
リアルタイムで書くことはできなかったけど、これから少しずつ自分の身に起きたことを書き残していこうと思ってます。
ひとまず、今は幸せです。
ボーナスでテンション上がってキラキラストーンをネイルに施す程度にはリア充です(笑)。
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1年も経ったのか...。
http://idspangle.exblog.jp/25909465/
2016-06-14T02:15:00+09:00
2016-06-14T02:22:23+09:00
2016-06-14T02:22:23+09:00
spangle.identity
未分類
書きたいことは山のようにある。
でも、なんか、なんでしょう(笑)。
希望も絶望も知ってますよ、大人ですから。
「開かない」と思っていた扉が開くかもしれないと思った。
結局、開かなかった。
でも、のたうち回った結果、
「開くかもしれない」ことだけは分かった。
それだけで充分でしょう。
負けんな。
生き残れ。
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30代後半になるまでに会社人として女目線で感じた悲喜こもごも―その1
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2015-06-08T19:10:00+09:00
2017-11-04T07:29:30+09:00
2015-06-08T19:10:34+09:00
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女は、自分の子供を自らのビジネスに招いた途端、鋭利な判断力を失う。
どんな優れた経営者でも、
自分の子供を、その他末端の社員と同等に扱えない。
一般企業の経営者が母親になるって、
本当に難しい。
子供を交えてビジネスをするなら、
いっそママ友サークルとかで、ママであることを前提にした集団の中でやった方が上手く回るのかも。]]>
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